279.建築家

 
カブルコフ: マリヤさん!
 
マリヤ: 私を呼んでいるのは誰?
     八年の間 物音ひとつ聞かなかったのに、
     突然 私の耳のなかで
     秘められたネジが廻りだす。
     荷馬車の轟音がきこえるわ
     そして警護兵が代わるとき、かかとの後ろを打ち鳴らす音。
     二人の大工の話し声も聞こえる。
     ほら、一人は「マルバタバコ」と言っている。
     もう一人は、ちょっと考えて、「スープときび粥」と答えているわ。
     モーターボートがブンブン空に響いている音が聞こえる。
     風で屋根が壁をパタパタ叩いている音が聞こえる。
     誰かの小さな囁き声が聞こえる。「マーシャ!マーシャ!」って。
     八年の間 何も聞かずに生きてきたのに、
     私を呼んでいるのは誰?
カブルコフ: マリヤさん!
     きこえますか、マリヤさん?
     ぐずぐずしないで、
     下におりてきて、ドアを開けてください。
     私はもう、ヘトヘトだ。
     はやく、はやくドアを開けてください!
     暗闇では人間はみな獣だ。
マリヤ: 自分じゃあ決められないわ。
     私の主人は建築家なの。
     彼に聞いてみてください。
     もしかしたら、いいって言うかもしれないし。
カブルコフ: おお、訳のわからんおっとりさ加減!
       まさか耳に入らんわけじゃないでしょう、
       すぐ近くでおこなわれている大規模な戦闘の轟きや、
       押し合いへしあい恐怖で沸きかえる家からの興奮が、

       群集の悲鳴、恐ろしい戦い、
       泣き声、うめき声、
       静かな祈り、
       空の下の短い銃声が。
 
マリヤ: 扇動しようったって、無駄ですよ。
     私と何の関係があるの、・・・馬や剣が?
     ここからどこへ行けっていうの?
     私はここにいるわ。
     私は嫁ですもの。
カブルコフ: 契りの枷の本分には
       ことさらの趣あり。
     露ほどの小心ももたぬ者のみ、
     むなしきよしなしごとを捨て
     ミューズの救いを刹那に求めつ
     大いなる狩りの野を駆ける。
マリヤ: ごらんなさい!
     建築家があなたの胸を狙っている!     
カブルコフ: 人殺し!
       お前の番も遠くはないぞ! 
(建築家は発砲する)
マリヤ: ああ!
     青灰色の球が煙で空気を切り開く! 
建築家: 道は清められた
     明るき日は訪れよう。
     家は終焉する、石の君主よ。
     高さと重さの調和を従えて。
     目を凝らせ、歓喜せよ!
     御影石の堅い額が、

     書物によって時を蝕み、
     防壁をうちたてた。
        軽快な窓列を見下ろし、
     高みでは、嵐の女友だち、
     屋根が彼らの前に広がっている。
     空中の旗が撃たれる。 
     賞賛と栄誉を建築家へ!
     そして我こそは、建築家である。
 

1933年 春)        

     

挿絵

河原朝生